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2024年1月27日

【硬式野球部】OB 谷村友一氏(1951/S26経卒)、野球殿堂入り! 

このほど、野球殿堂博物館が本年度殿堂入り3氏を発表し、硬式野球部OBの谷村友一氏(2022年他界 享年94)が特別表彰で殿堂入りされました。谷村OBは元セ・リーグの審判員で、審判員としてアマチュアからプロに転向して半世紀、プロ・アマの垣根を取り払った存在としてその功績が評価されました。

谷村OBは旧制同志社中学(現 同志社高校)より同志社大学に昭和21年入学。大学では硬式野球部主将を務め、卒業後は極東商事(現三菱商事)に入社。

本業の傍ら昭和27年(1952年)都市対抗野球大会に京都クラブの二塁手として出場。その後、大学野球、高校野球、社会人野球の審判員として活躍。昭和58年の全国高等学校野球選手権大会では、延長18回引き分け再試合となった徳島商と魚津高の三塁塁審を務められました。

昭和34年にセ・リーグ審判部入局、昭和61年には史上5人目(当時)の3000試合出場を達成。同年歴代17位通算3026試合出場で現役を退かれました。(出場は通算3026試合、日本シリーズ11回、オールスターゲーム6回)。

昭和62年(1987年)から技術指導員、平成5年(1993年)にはセ・リーグ審判総務部を新設、後進の指導にあたるとともに、全日本野球会議で審判技術委員を務められました。プロ・アマ双方で審判を務めた経歴から「プロ・アマの壁をなくすため、審判員から取り組んでいこう」と先頭に立って活動されました。平成14年(2002年)初版の全日本野球協会発行『審判メカニクス・ハンドブック』の編集に尽力され、今も版を重ね、「審判のバイブル」となっています。

同志社出身の野球殿堂入りは前身の同志社英学校卒で早稲田大学野球部の初代部長を務め、戦前における日本野球の育ての親と言われた安部磯雄氏以来2人目となります。

おめでとうございます!

スポーツユニオン編集局

写真:野球殿堂博物館

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