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2017年2月24日

同志社は「体育・スポーツの先進校」

元同志社大学神学部教授 本井 康博

 同志社は「体育・スポーツの先進校」でした。140年を越える同志社の歴史は、一面ではスポーツの歴史でもあります。なぜでしょうか。新島襄先生(1843~1890)が留学したアーモスト大学がそうですから。全米で最初に「保健体育」を正規の科目にし、体育館を設けた大学で、新島も授業を受けました。そこで、「日本のアーモスト」を目指した同志社も、最初から体育やスポーツに力を入れました。その結果、この分野に綺羅星のごとき指導者やプレイヤーを多数、送り出してきました。
たとえば、大森兵蔵(ひょうぞう)さん(1876~1913)です。アメリカに留学し、体育大学でバスケットを習得した後に帰国し、YMCAや日本女子大学などを拠点に、競技の普及に大いに貢献されました。その功績を称え、「日本バスケットの父」と呼ばれています。大森さんは、日本が最初にオリンピック(ストックホルム、1912年)に参加した時の団長(監督)をも務められました。以来、最近のリオデジャネイロ五輪・パラリンピックに至るまで、同志社を抜きにしてオリンピックの歴史は語れません。

もうひとり挙げるならば、「日本学生野球の父」、安部磯雄先生(1865~1949)です。同志社の教員から早稲田に移り、野球部を創設し、早慶戦を始められたので、いまでも早稲田では大変感謝されています。その証拠に、早稲田には「安部球場」や「安部寮」だけでなく、安部先生の胸像がキャンパスに建てられています。
早稲田スポーツの花形と言えば、野球に加えてラグビーと駅伝が有名ですが、ラグビー部を1918年に創部(同志社は1911年)したのも、旧制同志社中学校から早稲田に進学した井上成意くんや西村聡くんらの学生で、初代キャプテンには井上くんが就任しました。最近は弟分にあたる早稲田の方が強くなって、少々複雑な気持ちでしたが、先月、ラグビー学生選手権(準々決勝)で早稲田をやぶりましたので、私も溜飲が下がりました。
さらに大森さんにしても安部先生にしても、大日本体育協会(1911年創立。戦後に日本体育協会と改称)の最初の理事として、会長の嘉納治五郎先生(1860~1938)を両脇から支えました。当初の理事は3人でしたが、そのうち2人を同志社人が占めました。

こうした伝統と栄光を今も引き継いでいるのが、本学のスポーツ健康科学部、ならびに同志社大学体育会と同志社スポーツユニオンの皆様です。「体育・スポーツの先進校」であることを自覚し、日々の精進をさらに重ねて、今後も空高く飛躍していただきたいと願ってやみません。
最後に聖書を一か所朗読します。イエスの一番弟子、パウロという人が、ギリシャのオリンピアで行なわれていた古代オリンピックを念頭において、二千年前に書いた手紙の一節(コリントの信徒への手紙〈1〉9章24節)です。こうあります。
「あなた方は知らないのですか。競技場で走る者は、皆、走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなた方も賞を得るように走りなさい」。
来年の同志社スポーツユニオンの祝勝会では、今年よりもさらに多数のプレイヤーが表彰されますように、皆さまの健闘を期待しております。

*2017.1.28開催「同志社スポーツユニオン祝勝会」でのスピーチに加筆されたものです。

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