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2016年8月8日

【リオ五輪 フェンシング】太田雄貴選手、悲願の金メダルならず

8月7日、リオデジャネイロ オリンピックフェンシング男子フルーレ第1シードの太田雄貴(H20年商卒・世界ランキング2位)は初戦の2回戦に出場、地元ブラジルのトルドと対戦した。
序盤から一進一退の展開で、地元の声援を受けたトルドの攻撃に苦しみ、10-12で第1ピリオドが終了。第2ピリオドで巻き返しを狙ったが、13-15でまさかの初戦負けを喫し、悲願の金メダルはならなかった。本人も予想外の早い幕切れだった。

2004年のアテネオリンピック 男子フルーレ個人9位、2008年の北京オリンピック 男子フルーレ個人銀メダルは日本フェンシング史上初のメダルとなった。2012年のロンドンオリンピックでは男子フルーレ個人は3回戦敗退となったが、団体準決勝ではドイツ相手に太田の驚異のねばりで追いつき延長戦を制して決勝へ進出した。決勝ではイタリア相手に39-45で敗れたものの見事銀メダルを獲得した。
その後太田は競技から一時離れたが、東京五輪・パラリンピックの招致活動に携わり再度オリンピックの重みを再確認。一年以上の休養期間を経て競技に復帰した。昨年7月の世界選手権では日本初の金メダルを獲得した。

リオオリンピック初戦敗退について、太田は「全部僕のミス。支えてくれた人全てに申し訳ない気持ちでいっぱい。五輪に対する覚悟がロンドンや北京に比べて弱かった気がしている。(相手選手の)研究面で浅かった」「これで未練なく現役を退けるかな、というぐらいスッキリしている」と述べ、現役引退の意向を表明した。
「五輪に育ててもらい今の自分があり感謝している。最後にずっこけるのは自分らしい」と悔しさとすがすがしさが入り交じったコメントも。

今後の日本フェンシング界を後進に託すためにも目指した金メダルだった。「もっともっと心の底から取りたいと思わないといけなかった」と唇をかみしめた。今後については「スポーツ選手が引退した後の選択肢を増やせる役割を担いたい」と最後は笑顔を見せ、会場を後にした。

フェンシングという競技においてこれほどまでに活躍し日本を感動させてくれた選手は、いなかった。その選手が同志社のOBである喜び。同志社スポーツユニオンとして太田選手には心から感謝し、今後のお幸せを祈りたいと思います。

同志社スポーツユニオン編集局

参考:YAHOO!ニュース、毎日新聞ニュース

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