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2022年5月30日

『同志社スポーツの歩み第三版』発刊に尽力の中村恭俊副理事長に感謝状贈呈

5月22日、「2022年度同志社スポーツユニオン第1回執行役員会」がホテルオークラ京都で開催され、議事終了後に中村恭俊副理事長(企画委員長・編集委員長)に感謝状が贈呈されました。

同志社スポーツの先人たちが刻んだ栄光の歴史と誇りを後世に伝える『同志社スポーツの歩み第三版』の出版にあたり 構想当初から発刊に至るまでその卓越した企画力と溢れんばかりの情熱を持って2020年春の発刊に尽力されたご功績に感謝の意を表し、豊原洋治同志社スポーツユニオン会長から盾が贈られました。

 

中村恭俊副理事長は2016年6月4日の同志社スポーツユニオン総会で同誌の編集責任者に就任されました。同誌の構成について暗中模索の中、「新島先生の思し召しに従おう」と、同年9月にはアーモスト大学を訪ね、フィリップスアカデミーへも足を運ばれ、また国内では新島先生が脱国前に立ち寄った青森県風間浦村、仙台の東華学校跡地、安中の旧宅、八重先生 生家跡地(会津若松市)へと新島先生ゆかりの地を訪問されました。その後新島先生が1884年募金活動のためヨーロッパ外遊の際の同じ路程を辿ってイタリア、スイスを訪問、スイス・サンゴタール峠で呼吸困難になり遺書を書かれたというホテル(ホテル・ドゥ・モン・プローサ)にも宿泊されました。

そして、数々の資料をもとに「新島先生は日本近代スポーツの生みの親の1人である」との仮説を立て、同誌の大きな指針とされました。

 

また1912年ストックホルム五輪が日本が初めて参加した五輪であり、この時から同志社が五輪関与者を輩出している数少ない学校の一つであることから、何とか同志社五輪史を動画で残したいという企画を考え、報道関係者に相談すると「それは無理な企画」と言われたことを逆に原動力として立ち向かわれました。そしてミズノ株式会社の水野正人相談役会長のご支援のもとスイスローザンヌの国際オリンピック委員会へ2016年、2017年と2度訪問、熱く思いを語られた結果、同志社オリンピアンの動画の提供を受けることができ、同誌の付録とすることができました。

 

同志社スポーツ140年を超える通史の作成、体育会全51部の部史と年表のご寄稿、同志社スポーツの「栄光の語り部」である先輩方やアスリート等のインタビューの企画を立て、精力的に動かれました。発刊後2020年3月、いち早くアーモスト大学へ同誌を届けにも行かれました。

 

中村恭俊副理事長は、「この一大事業は私にとって使命、Callingともいえるものであり、新島先生の足跡を辿る中から、先生の啓示と”神の見えざる手”によって導かれアイデアがあふれ出し、無事完成することができました。このプロジェクト顧問の田淵和彦先生、北垣宗治先生、本井康博先生、下楠昌哉先生、同志社スポーツユニオンの豊原洋治会長、藤原卓也理事長、北村光雄名誉会長、佐野修弘最高顧問、濱直樹最高顧問、事務局の山崎玲子さん、同志社スポーツユニオンの皆々様、同志社大学体育会全51部の関係者の皆様、凸版印刷株式会社 チームTOPPANの皆様はじめご支援いただいたすべての方々に深く感謝申し上げます」と語っておられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同志社スポーツユニオンは中村 恭俊副理事長が4年間にわたり注ぎ込まれた膨大な時間、エネルギー、コスト、ボランティア精神、そして何よりその熱い思いに心より感謝いたしたいと思います。

 

 

同志社スポーツユニオン編集局

 

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